大学生活をふり返るなら

もう社会人生活がはじまってしまった。だけど、今更ながら大学時代をふり返ってみよう。
ざっと思い返すと2つうかぶことがある。それは「こうしといてよかった」という経験と「あ―すればよかった」という後悔。

こうしといてよかった

やりたいことをやる

僕はテニス。大学に入る目的はテニスをやることだった。高校の部活だけではやりたりなかった。だから、もっとやりたかった。後は大卒という資格が欲しかった。きたる就職活動に向けて大卒という切符が役立つと思ったから。元々の大学にいく目的とは違うのかもしれない。それでも、やりたいって思ったことを目一杯できたのは、よかった。大学生活をふり返ると、満足感というか悪くなかったなという感触がある。

いったれの精神

生活していると、ふと変化の機会が訪れる。僕の場合はアルバイトだった。コネというか、たまたま顔を覚えてもらっていて、アルバイトに誘ってくれた。今までの生活では全く縁のないような仕事だった。何も考えず、なんとなくで飛び込んでみたのがよかった。このアルバイトをやらなければできない経験をさせてもらえた。だから、たまにある変化の機会には飛び込んでみるべきだ。ちょっとめんどうだとか思うんだけど、案外なんとかなる気がする。

あーすればよかった

ある時期をふり返ると、あーすればよかったという後悔は誰にでもあるのかなと思う。友人の話を聞いてもそうだった。それで、この後悔というのは「避けてしまったこと」に対して残るものだと考えている。

勉強

僕の場合は大学の講義を疎かにしていたことだ。テニスをしにきたからとか、めんどくさいからとか理由をつけてさけていた。卒業間際になって講義をきいていると、思っていたよりも楽しいことにきづいた。入学したころに比べれば知識がついたというのもあるかもしれないけど。講義をきいて興味をもったことに関して、自分で調べて教授に意見をぶつけにいったり、話聞きにいったり。そういう大学でしかできない勉強を全くしなかったのはもったいない。教授を自分のやりたいように使い倒すべきだった。

限界線をひく

大学ではテニスを楽しくやれた。だけど、上達の限界を勝手にきめてしまっていた。自分よりうまい人と比べて、無意識のうちにこの人には勝てないとか、自分の実力なら大体こんくらいの位置だろうなとか。これももったいない。上達するために今できること・できないことを考える必要はある。だけど、限界を決めちゃう必要はない。実際、限界なんかわかんなかったわけだし。


せっかく大学生活をふり返ったのだから、これからの新生活にいかしていこう。やりたいことも、めんどくさいことも、ひっくるめてずばずば突き進んでいける行動力。できないなんて決めつけず、少しずつ変わっていく。
次の節目はいつだろう?30歳くらいかな。次に振り返ったときも悪くないなって思える生活を送ろう。