日々を楽しくするためには

『テニスボーイの憂鬱』を読んだ。

主人公のテニス観にふれて、自分にとってのテニスとは?とか考えようと思ったけど、やめた。
はたまた解説に、

誰の目にも明らかなのは、テニスのメタファーが、性のメタファーを補強し、性のメタファーがテニスのそれを補完し、互いに深層の部分が照射しあうという関係が成立し、読者はこの二つのレベルのメタファーの戯れを味わい愉しむことができる。

とか書かれていて、本著は・・・とか考えようと思ったけど、やめた。メタファーの戯れなんかまったく知らん。

最近の悩みというか、ちらっと考えてることを拾えたのでメモしておく。

誰かを幸福にすることなどできない、他人にしてやれることなんか何もない、他人をわかってあげるもの無理だ、他人に自分をわかってもらうのも無理だ、他人を支配するのも不可能だし、支配されることもできない、そのことを、女だけがわからせてくれる。
(中略)
他人は必要ではない、そんな生き方をしなければいけない。つまりグラスのシャンペンみたいにキラキラと輝いていなければいけない、他人に対してできることは、キラキラと輝いている自分を見せてやることだけなのだ…………………

下巻にも同様の記述が。

いつもキラキラしていろ、他人をわかろうとしたり何かしてあげようとしたり他人からわかって貰おうとしたりなにかしてもらおうとしたりするな、自分がキラキラと輝いている時が何よりも大切なのだ、

日々が楽しい、充実している時はなにかに夢中になっているときだと思う。
何かの本(忘れた)ではフロー状態と読んでいたり、本著ではシャンペンのようにキラキラと輝いてるときのことだろう。

どうすれば輝けるのかというと、エゴを貫くことが必要ではないか。
引用した通り、他人は他人でしかないのだから、自分の意のままに生きることがシャンペンのような生き方なのかなと。

そんで、エゴを貫くっていうのは、テニスにもすごく当てはまる気がする。
うまく説明はできないけど、テニス自体がエゴの塊のようなスポーツというか。
試合では相手を倒すために、あらゆる手段をつかって、試合を自分の意のままに支配しようとする。
時には闘争心をむき出しにして、時には相手の嫌がることを徹底して、相手を引きづりおろして自分を貫くスポーツと言えんのかもしれない。

あ、2つのメタファーってそういうこと?
主人公の女性に対する姿勢と、テニスの本質の部分?がどうちゃらこうちゃらって感じかしら。


とにかく、日々を楽しく生きるためにはどうすれば・・・ってちょくちょく考えてしまう。
その答えのひとつとして、他人なんか関係なく自分のやりたいようにやるってことが大切と。
そんな考えを再確認した1冊だった。