死んでみるから、生きられるのかもしれない

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人生が変わる哲学の教室を読みました。
生きる意味について考えました。

  1. 内容
  2. 生きるって
  3. 死ぬって
  4. 死んでみる


内容

もし哲学者たちが生きていたらこんな話をするだろう。という想像のもと、各哲学者が自身の考えを紹介していく。


生きるって

小学生のころ、”生きる意味”を考えることがありました。
今になっても、自分なりの答えを出せないままです。

そんな中、以下の内容に興味を持ちました。

私が聞いていて感じたのは、やはり生きるということは自己実現のための場なんだということです。そして、自己実現がかなうことで人生に納得がいくという事実です。

大切なのは、世の中に価値なんてない、人生に意味なんてないということを潔く認めることです。

前者はハイデガー。死を自覚した途端にやりたいことがばんばんでてくる。だから、人生はそのやりたいことをやりきるためにあるんだよ。
後者はニーチェ永遠回帰について。人生は終わることなく循環するよ。だから、意味なんて大層なもの求めないで、まず受け入れよう。受け入れるから次に進めるんだよ。

難しいことはわからないですが、人生の意味なんて考えなくてもいいんじゃない?生きていく中で楽しい!やりたい!って思えることがあれば、がっつりやれば良い。
このくらいの気持ちで楽に生きればいいのかなと思いました。


死ぬって

同じように中学生になる自分、高校生になる自分・・・と先の姿を想像して無性に怖くなることもありました。
生きる意味って?ということを考え出すと、このままでいいのかな?という漠然とした不安がよぎります。
このままなんとなく生きて、なんとなく死ぬのか?それってつまらないし、寂しいんじゃないかと思います。

以下はハイデガーの考え方ですが、これをもとに何かしてみようという気持ちになりました。

これに対して、人間は死という人間の有限性に気付いた時はじめて、時間というものに自覚的になり、人生がかけがえのないものであることに気付きます。そうして未来を見据えて積極的に生きるようになる。

なんかしらの形で死に触れれば、何となく生きる今を脱却できるのではないかと考えました。


死んでみる

死に触れるなんかしらの方法を2つ考えました。

映画を見る

本書で死がキーワードの映画を紹介しています。
まずは人の死に客観的に触れてみる。

紹介された映画は以下です。
 

恐怖体験

死=恐怖という連想から、恐怖体験は超間接的に死に触れられると考えました。強引なこじつけですが。
そこで、バンジージャンプやってみたいです。意味わからないですが、スリル体験(≒恐怖体験)できるかなと。